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  • 1 日前
1585年大和郡山。ここを最後の居城としたのが、豊臣秀吉の弟、秀長でした
たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
Yamato-Koriyama, 1585. It was here that Hidehisa, the younger brother of Toyotomi Hideyoshi, made his final stronghold.
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教育
トランスクリプション
00:28ご視聴ありがとうございました
00:34奈良盆地の一角に今も昔の城下町の面影を残
00:39す町があります
00:40大和郡山
00:42ここを最後の居場としたのが豊臣秀吉の弟秀永でした
00:49秀永が大和郡山を治めた期間はわずかおよそ
00:536年
00:54けれどその短い期間にこの町は大きく姿を変えていきます
01:06天正13年、1585年
01:10四国で上層壁元地下を降伏させた秀永は
01:14大和を任され大和郡山城へ入ります
01:18秀永に与えられた領地は大和、紀伊、泉などを合わ
01:22せ
01:2370万石台から80万石前後に及んだとされています
01:28これは豊臣一門の中でも最大級の領地でした
01:33しかし秀永にとって大和は決して簡単な土地ではありません
01:39でした
01:40東大寺、幸福寺、霞ヶ社など古くから大きな力を持
01:45つ自社があり
01:46そこには独自の政治力もありました
01:50秀吉がこの難しい土地を任せたのは
01:53最も侵害できる弟だったからなのでしょう
01:59秀永が最初に取り組んだのがとても地味な仕事
02:03でした
02:04土地を調べること
02:06どこに田畑があり、誰が田がやし、どれだけの収穫が
02:11あるのか
02:12それまで曖昧だった土地や年貢を一つずつ把握していきます
02:17現代でいえば会社を任された人が最初にする
02:21一体、今、何がどうなっているのか
02:25という現状調査に近いのかもしれません
02:29秀永は、まず大和の見える化から始めたのです
02:39ところが、ここからの秀永は、意外な顔を見せます
02:44秀永は、自社に対しても検知を行い
02:47申告された土地や年貢を細かく確認しました
02:52幸福寺では、申告内容に問題があるとして
02:561万5個もの領地が減らされた記録があります
03:00さらに翌年には、前年と申告内容が大きく違うとして
03:05さらに厳しい措置をとっています
03:08つまり秀永は、優しい人だったから
03:11みんなとうまくやった、というだけの人物ではありません
03:16必要なところでは、かなり厳しい
03:20それも秀永の一面でした
03:30秀永は、自社を全部壊してしまったわけでもありません
03:34ここが、秀永の面白いところです
03:38武力や政治力を持つ部分は抑える
03:41その一方で、自社の造営や起進も行っています
03:45つまり、敵だから排除するではなく
03:48役割を残しながら、支配の中に組み込む
03:52そんな方法を取ったと考えられます
03:56これは、古いものを全部壊して新しくするのではなく
04:00残すものと変えるものを分ける
04:03秀永の政治には、そんな現実的な考え方が見えてきます
04:11そして、秀永が力を入れたのが
04:14大和郡山を街にすることでした
04:18秀永は、奈良での生涯を禁じ
04:21生涯を大和郡山へ集めようとします
04:24政治だけではありません
04:27商人が来る
04:28商品が集まる
04:30人が住む
04:32そして街が大きくなる
04:34長貨町というのは、城だけではできません
04:38人と商売が集まって、初めて街になる
04:42秀永は、その流れを作ろうとしたのです
04:50ここで登場するのが、大和郡山の歴史を語る上で欠
04:54かせない
04:55箱本です
04:57長貨町では、町人たちが
04:59街の運営に関わる仕組みが整えられました
05:03治安や税の取りまとめなど、街のことを街で支える
05:08もちろん、戦国時代ですから
05:10現代の自治とは違います
05:13それでも、上から全部命令する
05:16のではなく、街の人にも役割を持てせる
05:21これが、長貨町を動かす力になりました
05:25もしかすると、秀永が得意だったのは
05:28自分一人で動かすことではなく
05:30人が動きやすい仕組みを作ること
05:33だったのかもしれません
05:38氷山城を見ると、私たちはどうしても
05:41敵が攻めてきたら、どう守るのだろう
05:45と考えます
05:47もちろん、それも、城の大切な役目です
05:51しかし秀永の氷山城は、それだけではありませんでした
05:56年貢を集める
05:58人や物の流れを管理する
06:00自社や村との交渉をする
06:03問題が起きれば、判断する
06:05つまり、氷山城は、大和を動かす司令室
06:11そんな役割を持っていたのです
06:19しかし、秀永の大和氷山での時間は
06:23長くは続きませんでした
06:261585年に氷山城へ入り
06:291591年、秀永はこの地で亡くなります
06:34およそ6年、城を大きく回収し
06:38土地を調べ、地社との環境を整理し
06:41長貨町を整え、商売と人の流れを作った
06:46それだけの仕事を、わずかな時間で進めたことになります
06:53秀永の死後、その領地は、養子の秀康に引き継がれ
06:58ます
06:59しかし、秀康も1595年に亡くなると
07:03大和、紀伊の所領は秀吉によって没収され
07:07その後、大和氷山には牧田長森が入ります
07:12そして時代は、豊臣から徳川へ
07:15大和はその後、複数の大名や
07:18幕府の支配のもとへ移っていきます
07:21けれど、秀永が作った町の骨格まで
07:25すぐに消えてしまったわけではありません
07:28県地、村の区分、地社との関係、長貨町、商業と街道
07:36そうした、町を動かす仕組みは、その後の時代にも受け
07:41継がれていきました
07:44では、豊臣秀永とはどんな人だったのでしょう
07:49温厚な人、秀吉の優秀な弟
07:53戦の名将、どれも秀永の一面です
07:58けれど、それだけではありません
08:00自社には厳しく、反抗する勢力には毅然として
08:05一方では、商人や自社、町の人々の力も利用する
08:11厳しさと柔らかさを使い分けながら、人と土地
08:15を動かしていく
08:16そこに、秀永という人物の現実的な姿が
08:21見えてくるのではないでしょうか
08:28秀永が大和郡山を治めたのは、わずか約6年
08:33けれど、街を歩けば、その仕事の跡が見えてきます
08:37城を見るだけではなく、道を歩き、街を眺め、そこで暮ら
08:43す人を想像する
08:44すると、400年前の大和郡山が、少しだけ身近になってきます
08:50城下町を歩けば、秀永の仕事が見えてくる
08:54歴史観策ぐらぐらり
08:57今回は、豊臣秀永と大和郡山を歩きました
09:01くらめるためじゃない衝動、ただ確かめたいだけ
09:05よろしくお願いします

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