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教育
トランスクリプション
00:25ご視聴ありがとうございました
00:30一人揺れている時の風の中で
00:49高野に佇むレンガ作りの建物
00:53舞台の本部ともいえる場所でした
00:57標本室は建物の2階
01:00長い廊下の突き当たりにありました
01:07少年が舞台に召集されたのは1945年春
01:1314歳の少年は何の説明もないままその標本室に連
01:18れてゆかれました花をつくホルマリンのにおい少年の
01:28目に飛び込んできたのはおびただしい数のガラス製のホ
01:32ルマリン容器でしたそしてその中には
01:38ガラス瓶に入った母親
01:41おなかの子供が見えるように解剖して
01:46首から上をのこぎりで切った頭
01:51ホルマリンのにおいが強くて全部見るのは難しかった
01:58この舞台で一体何が行われているのか少年は標本室
02:03でその一端を垣間見ることになりますたった一度だけ目にした
02:11この光景は少年の脳裏に焼き付きましたそしてその後何度
02:17も悪夢としてよみがえったのです
02:35軍服を身にまとった男性
02:38京都大学医学部出身の軍医 石井志郎中将
02:46石井が創設したのが関東軍貿易給水部通称731
02:53部隊です
02:571936年から終戦まで旧満州ハルビン郊外に本部を
03:02置き
03:03中国人やロシア人捕虜などに対する人体実験や細
03:08菌兵器の開発を行っていました
03:14およそ10年間で2000人とも3000人ともいわれる人々
03:20が人体実験の犠牲になったといわれます
03:26石井のもとには帝国大学を中心に名だたる医師
03:31や研究者が集まりました
03:36一方でこの部隊に14歳の少年たちも集められ
03:41細菌兵器の製造などに従事していたことはあまり知ら
03:46れていません
03:511942年に創設された731部隊少年隊の集合写真
03:581期生から4期生
04:00機によっては100人以上の少年が招集されました
04:06終戦時の証拠隠滅で資料がほとんど残っていない
04:10中
04:12少年隊の存在を示す貴重な写真です
04:26私が731部隊の元少年隊員清水秀夫さんの存在
04:31を知ったのは
04:32去年春長野県で満州引き上げについて取材をして
04:37いた時のことです
04:44満州から避難する日本人たち
04:48これを描いた対策ですよね
04:54先の対戦最大の悲劇の一つ
04:57満州引き上げ
04:59軍民合わせて20万人以上が命を落としました
05:04国策に従って長野県からは多くの人々が満州に渡
05:09りました
05:11その中に731部隊に送られた少年たちもいたのです
05:20平和記念館の関係者から清水さんが長野県内に住
05:24んでいることを聞いた私は
05:26早速連絡を取りお宅に向かいました
05:46長野県宮田村は中央アルプスと南アルプスに
05:51抱かれた人口9000人足らずの自然豊かな村です
06:05初めてお会いした時
06:07清水秀夫さんは93歳でした
06:11今も足腰はしっかりとしていて
06:14私たち取材クルーにコーヒーを振る舞ってくれました
06:21さらに驚かされたのは清水さんの記憶力です
06:25当時の様子を淀みなく説明してくれます
06:55清水さんの話で
06:57長野県南部から多くの少年たちが731部隊に送
07:01られたことが分かります
07:21清水さんが少年隊に入隊したのは1945年3月
07:27終戦のわずか5ヶ月前でした
07:33731部隊の本部は旧満州ハルビン郊外平坊に
07:38ありました
07:40これは元隊員たちの証言をもとに作られた地図
07:456キロ四方の広大な敷地の中には
07:47様々な研究施設
07:49宿舎のほかに鉄道や飛行場までありました
07:58清水さんたちが寝泊りしていた少年隊舎
08:02集合写真はこの隊舎の前で
08:05入隊したその日に撮影されたといいます
08:13異郷の地でどのような作業に従事するのか
08:17少年たちには何も知らされていませんでした
08:21先生が多分私は見習い技術員だということだったから
08:31工作の好きな生徒を推薦したのではないかと思います
08:39何の見習い技術員かどうかもし
08:42全然やる仕事のことは一切のコメント
08:50何やるかが分かるな
08:5510日間ほど軍隊式の教育を受けた後
08:58連れて行かれたのが
09:00公道の横にある建物の2階
09:03最近実習室でした
09:08そこで全部脱いで消毒するわけだから
09:17だから消毒したからって
09:20箱油を切ろうということ
09:22自分の上のものを脱いで
09:26それであれ
09:27これはこういう衛生関係の仕事をやるのかなって
09:33そこでやっと気がついたくらいのもんです
09:38清水さんに割り当てられたのが
09:40ネズミに付着した細菌を採取し
09:43培養する作業です
09:46菌があるかどうかね
09:49プラチナの耳隠のようなので
09:52お尻から液を取って
09:56シャーレに寒天を溶かした培養があるから
10:03それをちょっと入れて
10:06蓋して
10:08培養器の中に入れる
10:11その後の始末は一切やったことはありません
10:14いつどこへ持っていったのか分かりません
10:26731部隊跡地
10:29多くの建造物は証拠隠滅のため破壊されましたが
10:33いくつかの建物は当時のまま保存されています
10:38レンガ作りの総務部
10:41毒ガス実験室
10:43巨大なボイラーの煙突など
10:49敷地内には陳列感もあり
10:52部隊が残していった
10:53さまざまな道具や器具が展示されています
10:59実験用のネズミの捕獲機
11:03ネズミはもともと日本から空輸されていましたが
11:06戦況が悪化すると現地調達するようになります
11:12人体実験の現場を再現した展示もあります
11:18731部隊は中国人やロシア人捕虜
11:22あるいはスパイを使って
11:24人体実験を行っていました
11:30関東軍憲兵隊が残した名簿に記された
11:33特異層の3文字
11:36特別移送のことで
11:38人体実験用の捕虜を
11:40731部隊に送ることを意味します
11:46名簿には捕虜と見られる写真が添えられています
11:51人体実験の対象となった人々は
11:54木材になぞらえて
11:56丸太と呼ばれました
12:02陳列館には
12:03大小さまざまな
12:04ガラス製のホルマリン容器が展示されています
12:1014歳だった清水さんは舞台の中で
12:13同じようなホルマリン容器を見ています
12:18ただ清水さんが目にしたのは
12:21空の容器ではありませんでした
12:31その部屋は総務部の2階
12:34標本室と呼ばれていました
12:37清水さんはそこに一度だけ行ったことがあります
12:43指導している上官が連れて帰ったんです
12:48何と言って連れて行ったんですか
12:49はい
12:50上官は何と言って
12:52いや
12:54そのことは全然今なんで現場に
12:57いきなり
12:58いきなり
13:02そこで清水さんが見たものは何ですか
13:05いや解剖した間ですね
13:10標本にしたガラス製にいるもの
13:18女の人のお腹にいる子供とか
13:23頭を首から上の頭を残りにできる
13:27残りにできるなんていうね
13:30研究のことはあるはずがありません
13:34残り切りで切った頭
13:37展示してあった
13:38そう
13:38あ、こう縦に
13:40こう
13:41いや、とてもじゃないけどめちゃごれないくらい
13:49こんな大変なことをやってる
13:51この時、上官からは捕虜を解剖したものだと告げられました
14:02少年たちはお互いの作業内容を話すことを固く禁
14:06じられていたため
14:07舞台で一体何が行われているのか全体像を知るす
14:12べはありませんでした
14:17さらに舞台の闇を感じさせる出来事がありました
14:21清水さんが仲間と3人でいる時
14:24上官からパンの差し入れがありました
14:30ふかしパンだね
14:32はい
14:32それを3つ持ってこられて
14:36上官が持ってきたから食べたわけ
14:40熱が42度3度
14:43そのパンを食べたら熱が出たんですか
14:45そうそう
14:461週間寝てた
14:493人いたでしょ仲間
14:513人食べたけれども
14:53そのうちに1つだけあったの
15:0042度を超える高熱にもかかわらず
15:03手当が施されたのは1週間後でした
15:101週間経ったらやっと注射打ってくれた
15:14それまでは脈を開くと体温が上がっていくだけ
15:21他にも不自然な医療行為を受けた少年たちが
15:25いたといいます
15:27自分たちも実験台だったのではないか
15:33だから少年隊は1期生から4期生まで
15:40多分手のいい
15:42まぶたにするつもりじゃなかったかなと
15:46そういう私は感じています
15:56清水さんが731部隊について語るようになったのは
16:01実は数年前のことです
16:04少年隊員には帰国してからも一切口にしないよう
16:09厳しい勧告令が敷かれていました
16:24清水さんは指示に従い秘密を忠実に守り続けてき
16:29ました
16:3180歳を過ぎてから自らの体験を語り始めたのは
16:36若い世代に事実を伝えなくていいのか
16:40そんな思いに駆られたからでした
16:44最近では講演の依頼があれば応じるようにしています
16:49過ちを繰り返してほしくない
16:52そんな思惑とは裏腹に
16:54清水さんの活動がメディアで報道されると
16:57ネット上には心ない書き込みが目立つようになりました
17:19731部隊による細菌研究や人体実験が
17:23そもそも嘘だなどとする書き込みも見受けられ
17:27ます
17:30これは731部隊の隊員の氏名や
17:33本籍地などが記載された名簿です
17:37そこにははっきりと清水さんの名前が記されています
17:46全く何も襲っているわけじゃなりません
17:50私は経験してきたことと見てきたことを
17:56731部隊の元少年隊員清水秀夫さんは
18:00今他の隊員とも交流を深めています
18:04軽井沢ですか
18:09お会いしてできてありがたい
18:12嬉しく
18:13どうもありがとうございます
18:16訪れたのは長野県軽井沢町
18:19この時96歳の砂賀菊田さん
18:24清水さんより3年先輩
18:26綱川さんも14歳の時に入隊しました
18:34綱川さんが唯一
18:36ハルビンから持ち帰ることができたのが
18:38このアルバムです
18:42これは同期の隊員たちと撮影した写真
18:46入隊したのは終戦の3年前
18:49終戦間際に入隊した清水さんとは
18:52少し事情が違いました
18:57その頃全部日本中が軍国一色ですね
19:02いずれにしろ年になれば兵隊に引っ張られると
19:08そうすれば同じ行くんだら
19:101日でも早く行って
19:12少し偉くなった方がいいなって
19:14気持ちはありましたね
19:18綱川さんは配属先が
19:21疫病対策や飲料水を確保する
19:24防疫給水部だと事前に知っていましたが
19:27まさか細菌兵器を扱うとは
19:30夢にも思いませんでした
19:34関東軍防疫給水部ってのは分かったんですよね
19:37防疫給水部ってことは字の通りですからね
19:41全然細菌の佐野字もなかったから
19:46須永さんが所属したのは
19:48焼き物を扱う小製飯
19:53ペスト菌などに感染させた飲みを入れる
19:56細菌爆弾の容器を作るのが仕事でした
20:00爆発の際の高熱で
20:02飲みを殺さないよう
20:04細菌爆弾は陶器でできていました
20:10800度ぐらいの葉で素焼きするんですよね
20:16それから瀬戸はそれから上薬塗って
20:20また1200度ぐらいにして
20:23形はこういう普通の爆弾の姿みたいなものですけど
20:28これが細菌爆弾だなってことを始めて
20:31その時に分かりましたね
20:37731部隊は
20:39ハルビンから西へおよそ150キロにある
20:42安達の街に広大な実験場を持っていました
20:47ここで繰り返し細菌爆弾の爆破実験が行われていた
20:52のです
20:53今は実験場の跡地だったことを示す看板が立っています
20:59砂賀さんも安達の実験場を訪れたことがあるといいます
21:08いくつかの証言によると
21:09捕虜たちは十字架に縛り付けられた上
21:13円の形に配置されます
21:17爆弾の破片で傷つくことを防ぐため
21:19捕虜には防具のようなものが付けられています
21:24中央部でペスト菌などの爆弾を炸裂させ
21:28感染するかどうか実験したというのです
21:32安達の演習場では
21:34その股を何メートル大きくか知らないけど
21:41あちこちに散らばして
21:43例えば落として
21:44何時間後には発病したとか
21:48何時間後には熱が出たとか
21:50何時間後には死亡したとか
21:52そういう研究をしたんじゃないですかね
21:57731部隊が開発した細菌兵器は
22:01実際に中国で使用されました
22:05石膏省義雄
22:08この町でも多くの住民が
22:10細菌船に巻き込まれ
22:12亡くなっています
22:15母や妹を亡くしたという
22:1796歳の男性に
22:19話を聞くことができました
22:34男性によると上空からペスト菌が巻かれ
22:38住民が次々と感染したといいます
23:002002年8月
23:02731部隊による細菌兵器で被害を受けたとして
23:07中国人遺族らが日本政府に
23:10賠償と謝罪を求めた裁判
23:14最高裁まで争われ
23:16賠償請求は帰却されましたが
23:19細菌兵器によって
23:21多くの中国人が死亡した事実が
23:24初めて司法の場で認められました
23:31ところが翌年
23:32当時の小泉政権は
23:36外務省防衛庁等の文書において
23:39関東軍貿易給水部等が
23:42細菌戦を行ったことを示す資料は
23:45現時点まで確認されていない
23:51裁判で原告団の代表だった大仙さん
23:56自身も叔父を細菌兵器によって亡くしています
24:02留学生として来日して以降
24:04長く日本に滞在した後
24:07支援を得て細菌戦に関する展示館を建設
24:13細菌戦が実際に行われたことを
24:16次の世代に伝えていく活動を行っています
24:38日本での裁判の結果については
24:43反省しなきゃいけないんですよね
24:45日本にとってはマイナスの遺産ですよね
24:50中国の人にとってはどうですか
24:52歴史を正確に記録する目的は
24:56やはり被害者の命の尊厳を守るの一つですよね
25:11310万人もの犠牲者を出して
25:15日本は敗れました
25:19当時から細菌兵器の使用は
25:21ジュネーブ議定書で禁止されており
25:24731部隊の幹部たちもそのことは認識していました
25:29少年たちも駆り出され
25:31徹底的な証拠隠滅が図られました
25:37清水さんは終戦の3日前
25:39焼却炉で焼かれた丸太
25:42捕虜の骨を拾うよう命じられました
25:4712日の朝
25:50骨拾いに行けということだったんですよ
25:53骨
25:53はい
25:57で骨を拾ってしまって
26:00あの朝袋が揺れて
26:03それを拾い終わったら爆弾を運べた
26:074人でロップかけて担いで
26:12各部屋へ配ったんです
26:15それが終わったら退避しろってことで
26:29731部隊の最後を目撃した貴重な証言です
26:368月14日夕刻
26:38清水さんたちは列車に乗り撤退を始めます
26:43その直前上官に呼び出されました
26:4616日の朝の退避にいましたら呼び出されて
26:52拳銃と生産官を渡されて
26:55上官に
26:56結局私は14歳だから全く子供だね
27:04捕まれば標本室を見たために
27:09それをばらされると
27:11捕まったら自決しろって
27:15こういうこと
27:20清水さんは標本室で731部隊の正体を垣間見た
27:25がゆえに
27:26最後は厄介な存在とみなされたのです
27:31清水さんが終戦を知ったのは撤退の途中
27:35渡された拳銃と生産化合物は
27:38帰国を確信した津島海峡で海に投げ捨てました
27:45とにかく今で言ったら中学3年生だもんね
27:52今の若い人たちがこういった戦争の残酷さを
27:57きちんと習得してもらってやってもらわないと
28:03これからの日本はどうなるかなと思って
28:08戦争はダメですか
28:09ダメです
28:20敗戦が濃厚になると大人たちは
28:23守るべき子供たちをも武器に仕立てようとします
28:30戦況がすでに悪化していた
28:321944年に制作された記録映画
28:36戦う小国に
28:40国民服姿の校長が国民学校
28:43今の小学生たちに向かって激を飛ばします
29:03飛行訓練や手旗信号など
29:05戦争遂行のために鍛錬する子供たちの日常が描か
29:10れています
29:23教室では教師がアメリカの軍用機の飛行音を流
29:27し
29:28それを言い当てさせる授業もありました
29:42子供の純粋さ
29:44ひたむきさを
29:45とことん利用しようとしたのです
29:58満州の地で清水秀夫さんが最近の培養に従事していた
30:03頃
30:04沖縄では同じ年代の少年たちが激しい地上戦を戦
30:09っていました
30:13少年たちだけの戦闘部隊も結成されました
30:17ふるさとを守るという意味で名付けられた五郷隊
30:28兵員不足を補うため
30:30消臭年齢が引き下げられ
30:3314歳以上の少年たちが集められました
30:37その数およそ1000人
30:40任務は敵に気づかれず
30:43奇襲攻撃を繰り返すゲリラ戦
30:47本土決戦を遅らせることが最大の目的でした
30:55沖縄県中部の山中
30:58ここに五郷隊が活動していた痕跡が残っています
31:04こちらがタコツボ号
31:06兵が身を隠していた場所ですね
31:10少年たちが身を潜め戦ったとみられるタコツボ号
31:16この周辺では40箇所ほど確認されています
31:22できるだけ敵を一人でも殺して
31:25アメリカ軍を一日でも長くここに引きつける
31:28まさに時間稼ぎのために
31:30不正死と言ってもいいのかもしれないですね
31:32もしかしたらそういう意味では
31:37ゲリラ戦で命を落とした少年は160人
31:42中には怪我をして戦えないことから
31:45上官に殺された少年もいたといいます
31:52この人ですね
31:5616歳で入隊し亡くなった高江杉英さん
32:03弟の義一さんが
32:04兄の本当の死亡理由を知ったのは
32:07終戦から70年経った時のことです
32:13中止さんの証言によってでした
32:17いや、銃殺されるのを見たと
32:22義一さんに兄の死の真相を伝えた
32:26元少年兵の中止まり英吉さん
32:30負傷して動けなくなった兄義英さんが
32:34軍医によって射殺されたその現場にいました
32:41拳銃でやられた
32:44病院の端の方
32:46毛布かぶしてね
32:49一発やってから当たらないわけ
32:53その後もう一発やってね
32:56何も言わなかったですよ
32:58軍医は
33:02満州で捕虜になるなと拳銃を渡された清水秀夫さん
33:09沖縄で捕虜になるからと射殺された高江杉恵さん
33:15日本軍にとって子供の命は軽いものでした
33:221945年6月
33:25沖縄では組織的な戦闘が終わり
33:28大人たちは武器を置きました
33:32しかし少年たちはその後も
33:34ゲリラ戦を続けたのです
33:39その過酷な体験は戦後も
33:41少年たちを精神的に苦しめ続けました
33:5016歳で入隊した
33:51漬山義満さん
33:5395歳
34:07生産な光景を目の当たりにするうちに
34:10人の心をなくしたという漬山さん
34:15戦争が終わってからも村を荒らし回るなど
34:19普通の精神状態ではいられなかったといいます
34:42一人だけの戦争
34:44その後
34:45その後入院治療を続けましたが
34:48心の傷は癒えることはありません
34:59今年6月
35:01沖縄の戦没者を追悼する慰霊の日
35:065教体の慰霊碑がある小さな公園では
35:09地域の子どもたちが集まり
35:12清掃活動を行っていました
35:18訪れる人が年々減る中
35:20慰霊碑に手を合わせる
35:22漬山さんの姿がありました
35:30こんなに白鯛の子どもたちをですね
35:32真書に全然飛び込ませるということですね
35:36ものと同じく考えていた
35:39人間を物資と同じく考えていた
35:43人の命をですね
35:44その手にするようなことはあってはいけない
35:48そういうふうに思います
36:00清水秀夫さんが79年間思い続けてきたこと
36:06それは人体実験や細菌兵器の犠牲者に対する
36:10慰霊と謝罪のために
36:12再び731部隊の跡地を訪れることでした
36:21日中戦争当時
36:23中国で細菌兵器を製造していた
36:25旧日本軍731部隊の一員だった男性が
36:2979年ぶりに現地を訪問しました
36:35支援者たちがネットで募金を呼びかけたところ
36:39想像以上の速さで資金が集まりました
36:43中国行きを家族は反対しましたが
36:45清水さんの思いが勝りました
36:48731部隊の一員でした
36:53731部隊跡地
36:56中国メディアの関心も高く
36:58どこでももみくちゃの状態でした
37:04慰霊塔に向かい手を合わせる清水さん
37:08胸にしまい続けてきた思いを
37:10ようやく伝えることができました
37:15清水さんは私たちの主催にこう答えています
37:2279年ぶりに731の後を訪れて
37:27どんな印象を持ちましたか
37:30随分変わってしまって
37:33犠牲者の冥福を祈るために
37:37私は主にそれを目的にしてまいりました
37:42冥福を祈るということが
37:44私の今回の一番
37:47これ本当に現地のタイにいたしとってないと
37:54この気持ちは分からないと思います
38:023泊4日の短い異例の旅でしたが
38:05清水さんにとっては
38:07大きな節目となる旅でした
38:12残暑厳しい9月初め
38:15異例の旅について話を聞くため
38:18私たちは再び宮田村を訪れました
38:23わざわざ出迎えていただいてありがとうございます
38:30暑いですねまだね
38:32どうぞ
38:32はい
38:3494歳になった清水さん
38:37旅の疲れを少しも感じさせません
38:40実は中国では批判にさらされることも
38:44覚悟していたそうです
38:47どうでした中国側の対応は
38:50いやー優しかったね
38:53対応は優しく
38:56一遍も731が解剖とか
39:02そういったしたということが一遍もあります
39:06そのことは一遍も出なかった
39:11写真を見ながら旅の思い出を語ります
39:15731部隊跡に隣接する陳列館も訪れました
39:21そこにはあのホルマリン容器がありました
39:26背丈ほどもある容器
39:2879年前
39:30あの標本室で見た光景がよみがえります
39:35いやーちょっと胸が締められるような感じだった
39:41やっぱり中に入ってないけれども
39:45入ってたというのはあれを思い出しちゃうからね
39:50お腹の中に入っている子供までやってるからね
39:56母親の中にいた子供たちまで
40:01そのまま入って
40:04あとは上を子供が見えるように解剖して
40:10空のホルマリン容器を目にしただけで
40:13胸が締め付けられる
40:1679年前に受けた衝撃は
40:18あまりにも大きいものでした
40:23異例の旅を振り返る中で
40:26清水さんが問わず語りに始めたのが
40:29悪夢の話でした
40:34夢で731のね
40:38解剖された人たちのあれを見ましたけどね
40:43そういうことは言ってきてからは
40:45ちょっと今のところ出てないです
40:48原子力が
40:50言ってきてからは
40:52そういう夢は見なかった
40:54そういうどっちかっていうと
40:56悪夢みたいな夢をずっと見てきた
41:00そう
41:01それが今回
41:03中国から帰ってきてから
41:05あまりそういった嫌な夢を見ないように
41:07今のところそのあれはないです
41:14異例の旅によって
41:1679年間背負い続けた重荷が
41:19少しだけ軽くなったのかもしれません
41:33731部隊
41:35捕虜を使った人体実験
41:38細菌兵器の開発・研究
41:43戦後
41:44石井志郎をはじめ
41:46部隊を支えた
41:47医師や研究者は
41:49罪に問われることは
41:51ほとんどありませんでした
41:55人体実験で得られた
41:56医療データと引き換えに
41:58アメリカとの間に
42:00取引があったとも言われます
42:04そして彼らの多くは戦後
42:07日本の医学界で
42:08養殖に就くことになります
42:14一方少年隊員たちは
42:16口を閉ざしたまま
42:18手を差し伸べられることもなく
42:21戦後を生き抜いてきました
42:24731部隊にいた大人
42:26あるいは日本の政府
42:29行政
42:3214歳の清水さんに
42:34何の手助けというか
42:37手を差し伸べることもなかった
42:39ありません
42:39全然ありません
42:41通知も来ません
42:43班長も手紙もよこしません
42:47使い捨てじゃないですか
42:49使い捨て
42:51うまく少年隊員を
42:53利用しただけだと思います
42:57最後に私が投げかけた質問に対する
43:00清水さんの答えは
43:02意外なものでした
43:05731部隊のことを
43:08やっぱり清水さんは
43:10語り継がなきゃ
43:11ダメだと思いますか
43:13いや私は
43:17中国行ってきてから
43:20これはどうしようかな
43:22という今状態です
43:25どうしようかなというのは
43:26どういうことでしょうか
43:28やめようかな
43:30やめようかなやろうかな
43:32今迷っている
43:33それは
43:36それは
43:37私が初めて聞く
43:39清水さんの
43:40弱気な言葉でした
43:43負の歴史を語ることが
43:45まるで悪であるかのように
43:48ネット上にあふれる
43:49誹謗中傷
43:52戦後79年
43:54加害の歴史を語り継ぐことは
43:57ますます難しくなっています
44:01取材後
44:02清水さんはいつものように
44:04家の外に出て
44:05見送ってくれました
44:08いつまでも
44:09その場を立ち去ろうとしません
44:14私たちの車が
44:15見えなくなるまで
44:45ご視聴ありがとうございました
44:53ご視聴ありがとうございました

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