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  • 2 日前
美しい海に囲まれたペリリュー島には、約80年前の激戦を伝える戦跡が今も残っています。1944年、日本軍とアメリカ軍の戦闘はおよそ2か月半に及び、日本兵約1万人、アメリカ兵にも多くの犠牲者が出ました。なぜこの小さな島が激戦地となったのか、現地ガイドとともに歴史をたどります。

日本軍の陣地として使われたトーチカや、約840人が立てこもった千人洞窟を訪れ、瓶や食器など洞窟に残る品々から、補給を断たれた兵士たちの過酷な暮らしを見つめます。ペリリュー島の戦い、太平洋戦争、旧日本軍の洞窟陣地を知る現地取材ドキュメンタリー。戦争の歴史や第二次世界大戦の戦跡に関心がある方に向けた、史跡巡りと平和について考える歴史映像です。

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00:00どうも皆さんこんにちは原カンタです現在はパラオのペリリュー島に
00:04来ています パラオと聞くと綺麗な海やリゾートを思
00:07い浮かべる人も多いと思います
00:09しかし私が今いるこのペリリュー島は約80年前太平洋
00:13戦争の激戦地になった場所です この小さな島で日本軍と
00:17アメリカ軍が激しく戦いました
00:19今回はペリリュー島の戦績を実際に回りながら
00:23ここで何が起きていたのかを見ていきます ぜひ最後までご覧ください
00:32パラオは日本から南におよそ3000キロ離れた場所にある
00:36西太平洋のミクロニシア地域にある島国です 国土
00:40面積は約500平方キロメートル
00:42日本の薬島とほぼ同じくらいの広さに約1万8000
00:46人が暮らしています 今回訪れているペリリュー島はパラオ
00:50の中心地であるコロールから南にある小さな島です
00:54そもそもなぜこの島に日本軍がいたのでしょうか その背景
00:58には日本によるパラオの統治があります
01:01第一次世界大戦中の1914年 日本は当時ドイツ領だった
01:06パラオを占領
01:07その後国際連盟の委任統治の下でパラオを統治
01:11するようになり 1922年にはコロールに南洋町という行政機関
01:16が置かれました
01:17当時パラオには多くの日本人が移り住み 日本語教育
01:21や道路の整備産業開発などが進められました
01:25そして1941年太平洋戦争が始まります パラオは日本軍の
01:31重要な拠点の一つになり
01:33中でもペリリュー島には飛行場がありました 当時フィリ
01:37ピンへの侵攻を計画していたアメリカ軍は
01:39この飛行場を脅威として考えペリリュー島を制圧
01:43しようとしたのです こうして1944年9月15日アメリカ
01:48軍はペリリュー島に上陸します
01:50しかし日本軍は島の丘陵地帯や洞窟に陣地を築き
01:55米軍に大きな損害を与えながらその進撃を少し
01:59でも遅らせようとしました
02:00アメリカ軍は激しい砲撃を加え火炎放射器や爆
02:04薬を使って 日本軍の陣地を一つずつ攻撃していきます
02:09猛烈な暑さと水不足も兵士たちを苦しめ 日本軍
02:13は補給を断たれた過酷な状況の中で抵抗を続け
02:16ました
02:17こうして戦闘はおよそ2ヶ月半に及び 日本軍では約1
02:21万人が命を落としました
02:23アメリカ軍にも1500人以上の戦死者が出ています
02:26今も島には当時の戦争の爪痕がわかる戦績が数多
02:31く残されています
02:32ここからは実際にそうした場所を回りながら この島で何
02:36が起きたのかを見ていきます
02:39今日ペリリュー島を案内していただく長谷川渚さんです
02:42今日はよろしくお願いいたします
02:44簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいですか
02:47現在ですねロックアイランドツアーカンパニーで働いております
02:51今ですねパラオに住んで1年と9ヶ月ほどになります
02:56ロックアイランドツアーカンパニーのペリリュー島
02:58のガイドをしております
02:59長谷川渚です
03:01ありがとうございます今日はよろしくお願いいたします
03:02今日はどういったルートでこのペリリュー島を見ていくんでしょうか
03:06はい今私たちはですねペリリュー島の北鳩場という場所に
03:11到着しています
03:12ペリリュー島の北部ですね
03:14ここから今から車に乗ってどんどんどんどん南の方に
03:19行って戦績を見ていきます
03:21最後はですね中央高地と呼ばれますペリリュー島の真
03:25ん中にあります少し標高が高いところ
03:28そこでそこが終焉の地最後の終焉の地と呼ばれる
03:33場所がありますので
03:34最後そこに行ってツアー終了となります
03:37はいわかりました
03:38早速私たちの後ろに何か建造物のようなものがある
03:42んですけれども
03:42これもその当時の太平洋戦争に関係しているものなんでしょうか
03:46はいそうです
03:47こちらはですね日本の海軍によって作られました
03:51ロシア語で東地下日本語では特化店そして英語ではピル
03:56ボックスと呼ばれるものです
03:58よかったら後ろあの周りがありますね
04:01中も入ることができるんですね
04:04今もねしっかり残っています
04:06はいもう当時の形のまま残っているって感じですか
04:10そうですね北の方は割とまだ綺麗に残っています
04:13はい
04:13で日本の海軍によって作られました
04:16で爆撃があった時にですね
04:18この中に逃げ込むことができる対比号または防空号に
04:23もなりますし
04:25ちょうどですね真ん中中から見ていただくと
04:28窓のような穴が開いてます
04:31でそこから銃を構えることによって相手を攻撃する
04:35または防御ができる場所ですね
04:38この穴のこと銃眼と言います
04:41まさにこの穴は戦争の映画とかでもよく見るような穴
04:45ですね
04:46あそこから兵士が覗いていて銃で外を撃つっていう
04:49まさにそういうものが当時使われていたってことを感じますね
04:54中は日が遮られていて大きさにすると
04:58そうですね縦4メーター横4メーターぐらいの広さですかね
05:03大人の人間が10人も入ればかなり窮屈になるような
05:07そういった大きさです
05:09あそこから分かりますかね
05:11光の関係でうまく映ってるか分かんないんですけれども
05:14あそこから銃を
05:16多分あそこの下に台みたいになっていますけど
05:18あそこにおそらく銃の土台の部分を置いて
05:22外を狙って撃っていたんじゃないかなというふうに分かります
05:25こういった穴が2つありますね
05:40さっきの陶地下から少し歩いてきて
05:42今私たちの後ろに洞窟ですかね
05:46大きい洞窟が見えますけれども
05:47これは何でしょうか
05:49こちらはですね仙人洞窟という場所
05:53洞窟に
05:54仙人は仙人
05:56サウザンドの仙人
05:57サウザンドの仙人
05:58はい
05:58なぜかというと
06:00約1000人ほどが中に入れるぐらい
06:02とても大きな洞窟
06:04この島で最大の洞窟になります
06:07なるほど
06:07ですので名前
06:08仙人洞窟という名前が付けられています
06:11当時その日本兵たちが
06:14ペリリの戦いって消耗時給戦というふうに言われたように
06:16ここにこもって戦っていたということですよね
06:19そうです
06:20千人が入れるとなると相当な大きさですよね
06:22そうですね
06:23全部をつなげるとですね
06:25約280mありまして
06:28中はジグザグになっています
06:30なるほど
06:31今から入るんですけれども
06:33中川大佐守備隊長ですね
06:35ペリリュー島の守備隊長は
06:37この島の守備隊を4つに分けました
06:41東西南北4つですね
06:43ここは北地区にあたりますので
06:46北地区隊独立歩兵第346大隊という方々がですね
06:53約840名中に入りまして
06:56その中でずっと戦い続けた場所になります
06:59なるほど
07:00実際に中に入れるということで
07:02ちょっと当時のことを考えながら
07:04中の方を見させていただこうかなと思います
07:07はいします
07:08石灰岩の島ですので
07:10頭打たないように気をつけてくれます
07:12すごい硬いんですよね
07:13この岩壁が
07:14すごい硬いです
07:15結構低いので
07:18そうですね
07:19高さにすると
07:21私身長が178ぐらいなんで
07:24それでもしゃがまないと入れないんで
07:28160センチぐらいしかないっていうような感じですかね
07:30もうちょっと低い
07:31もうちょっと低い
07:32こっちに行くともっと低いですね
07:36当時は当たり前ですけど
07:38この洞窟を作るのは全部こうマニュアルで
07:40人力で行われたってことですよね
07:42はい
07:42でこれ全部が全部掘られたわけではなくて
07:46なるほど
07:46もともとドイツ統治時代から
07:48林鉱石の採掘を行っていたんですね
07:51その採掘していた場所を最初は防空壕として
07:55でその後洞窟陣地としてどんどん掘り進めた
07:58という感じなので
07:59一から全部を作ったわけではないです
08:02そうなんですね
08:03ただ作ったのは海軍の随道隊と呼ばれるトンネルを掘る
08:08専門の方々によって作られました
08:12でこちら見ていただくとですね
08:14この千人洞窟の地図があります
08:17今私たちこの3番から入りました
08:20でこのまま進んでいきまして
08:23最後7番から出ていきます
08:25はい今ここですかね
08:27そうですそこから入りました
08:30で7番が本当に迷路みたいになってる感じですね
08:35はい今はもう他は崩れてしまっていたりするので
08:39一部のみ入ることができます
08:41なるほど分かりました
08:43でもこの狭さに当時800人以上の人がいたって考えると
08:46本当に想像でするような環境ですね
08:49そうですねではここ一番頭気をつけてください
08:54はい
08:56中は真っ暗です
08:57本当ですね
08:59ただもうこの辺りから瓶が落ちていたりだとか
09:03この瓶っていうのはもう当時使われていたもの
09:06当時の日本兵がこれで飲み物を飲んだりしていたってことですよね
09:11はい
09:12こっちの方とかはもう一回ちょっとライトを消していただくことってで
09:23きますか
09:23はい一回消します
09:27すごい今ちょっとカメラの性能でなんとか明るくなってますけど
09:31実際はもう完全な暗闇ですね
09:35ありがとうございます
09:36はい
09:39では進んでいきます
09:40はい
09:43中は思ったよりは涼しいなっていう印象ですね
09:47ただの私たちだけなので
09:50まあそうですよね
09:51当時何百人ってここに若い男性がいたって考えると
09:55衛生的にも
09:56そう匂いとかもね
10:10湧き水がないんですね
10:12なるほど
10:13であの飲み水の確保に一番苦しんだ戦いでしたので
10:17はい
10:17水浴び用の水はなかったです
10:20うーんなるほど
10:21映画でも雨水をなんとか貯めてっていうシーンが結構描かれています
10:25けど
10:26やっぱり飲み水に苦労したんですね
10:27そうですね
10:28一番それに苦労した
10:29それに加えてアメリカとの戦闘中だと
10:32そんな気軽に外に出られないですから
10:34ある意味ここに強制的にずっといなきゃいけないっていう状
10:37況だったってことですよね
10:38そうですね
10:38この地区隊
10:39北地区隊に関しては
10:41戦いが始まって
10:431週間で周りを米軍に包囲されましたので
10:46戦いが始まって1週間経った後からはですね
10:50ここの洞窟から出ることができませんでした
10:53ですのでこの中にいてで戦い続ける必要がある
10:58もちろん仲間からの補給ももうできませんので
11:02かなりしんどかったと思います
11:04なるほどありがとうございます
11:05もう少しでは先の方に進んでいければと思います
11:10この先はもう崩れてます
11:12はい本当ですね
11:26こちらですね
11:27見ていただきますと
11:29はい
11:29ここですね
11:31キリンリールと書かれてます
11:34触っても大丈夫ですか
11:36触るのがちょっともう
11:37そうなんですね
11:39ここわかりますかね
11:40キリンカタカナで
11:43本当ですね
11:44キリンって書いてますね
11:47右から書いてたんですね
11:48キリンって
11:49はいわかります
11:49その当時のキリンビールです
11:52こういったものも当時使われていたものですよね
11:55これは何ですかね
11:57反応とかじゃないかなと
11:59そうですね見た目的にそんな感じですね
12:00もう形が完全に変形しちゃってますけれども
12:03ご飯炊けたための鉄器ですかね
12:05金属の
12:06おそらくと思われます
12:09やっぱこういったものには
12:10基本的に観光客は手をつけないようにしているんですね
12:13はいもう戦績の保護で
12:15はい
12:15触ることもあと動かすことも禁じられています
12:18でここもう一種類瓶ありまして
12:21よく見ると
12:22こちらから大日本って書いてあるんですね
12:25英語で書いてあります
12:26英語で
12:27このまじで
12:28はい
12:28これは大日本酒造
12:31今の札幌
12:32あと朝日の前身の会社ですね
12:35なるほどなるほど
12:37本当に当時の
12:39ここで暮らしてた人たちの暮らしが
12:41ちょっとこう想像させるようなものが
12:43たくさんあるんですね
12:46もう少しだけ進めます
12:48はい
12:50この辺りですね
12:52特に瓶がたくさん落ちています
12:54そうですね
12:55はい
12:55この瓶はですね
12:572つ使われ方がありました
13:00まず1つはですね
13:02先ほど言いました
13:031週間経ったら
13:05戦争が始まりまして
13:071週間が経ちましたら
13:09ここ米軍に囲われましたので
13:12外に出ることができませんでした
13:14補給がないというのは
13:16食べ物ももちろんありませんが
13:18武器の補給もないんですね
13:20ですので
13:21武器が使い終わってしまって
13:24もうなくなってしまった後ですね
13:26洞窟内に残っている瓶をかき集めまして
13:29その中にガソリンを詰めて
13:31火炎瓶として使用をしていました
13:34あともう1つですね
13:35ここは石灰岩の島で湧き水がありません
13:39外に行くこともできませんし
13:41いけたとしてもあるのは海水のみなんですね
13:44お腹のすき我慢できますが
13:47喉の渇きは我慢できません
13:49そういった時はですね
13:50兵士の方々は大雨
13:52腹をですので突然のスコール
13:55降ることがあるんですね
13:56そのスコールの時にこういった
13:59岩の割れ目から一滴一滴落ちてくるものを
14:03瓶に溜めまして
14:05飲めるほどは溜まりませんので
14:07口を潤す程度で戦いを続けました
14:11そのための瓶ですね
14:12そう考えると当時の方々
14:14脱水症状とかで亡くなってしまった方とかも
14:17きっと多くいるんじゃないかな
14:18とてもたくさんいらっしゃると思います
14:22ここにあります鉄の塊
14:24こちらは酸素ボンベです
14:27酸素ボンベ
14:28酸素ボンベは何に使われたんですかね
14:31ここはやっぱ空気が薄くなるからとかですかね
14:33はっきりとどういった使われ方をしたかという
14:37記述はないんですけれども
14:39この先にですね
14:40医務室がありますので
14:42そこにも2つあるんですね
14:44なのでそこで使われていたものではないかなと思われます
14:48衰弱した方がある意味呼吸器のような形で
14:53ということが想像できますね
14:54この横分かりにくいですけど
14:58分かりますかね
14:59黒い四角いもの
15:00これすずりです
15:02すずり
15:03手紙を書いてある
15:05始まる前
15:06兵士の方々が
15:07家族にお手紙を書くために使っていたものと思われます
15:12兵士の方々はですね
15:14家族にお手紙書きますけれども
15:16パラオにいることは言うことできませんでした
15:19秘匿の業務でしたので
15:20ですので
15:21手紙の端っこに
15:23ヤシの木などを書いて
15:24南の方にいるよということは
15:26伝えることができたそうです
15:28なるほど
15:29では進んでいきます
15:41ここ穴がありますので気をつけてください
15:45はい
15:47今ですね
15:48少し天井が高い部屋に来ました
15:51ここは高い2メートルぐらい
15:52ここが医務室ですね
15:55ここがこの一角がみたいな
15:57この一角がいますとして使われていたそうです
16:00ここにも2本ですね
16:01酸素ボンベが転がっています
16:04はい
16:04一番奥行きますと
16:06ご遺族の方に建てられたものがありまして
16:10真ん中
16:11水戸山と書かれております
16:13はい
16:14確かに書いてますね
16:14はい
16:16このですね
16:17千人洞窟があるこの山のことを
16:21水戸山と呼んでいたんですね
16:23当時の方々
16:24なぜかというと
16:25このペリリュー島の守備隊の
16:27一番の主力部隊が
16:29水戸歩兵の方々だったために
16:32ここその方々にちなんで
16:34水戸山と名付けられておりました
16:37これだけ小さいスペースが
16:39医務室だったってことを考えると
16:41実際に当時の医療環境っていうのは
16:44全く追いついてなかったんじゃないかな
16:46って想像できますね
16:47実際映画とかを見ていると
16:49すごく多くの方が体調を壊していたような
16:52当時は多分血核であるとか肺炎であるとか
16:55感染症が蔓延したいってことを考えると
16:57信じられないような環境で
16:59皆さん過ごしていたなってことは想像できますね
17:02その1週間経った後出ることができなかったので
17:05もちろん限りある食べ物食事ですね
17:09食事もこの中ですし
17:10排泄もこの中ですし
17:12怪我人の手当もこの中で
17:15明るく今みたいにできるわけでもないので
17:17精神的にすごく大変だったと思われます
17:22日の光もそんなにもう浴びられないですよね
17:26個人的には毎日太陽の光浴びないと
17:29気持ちが安定しない人間なので
17:32ちょっと自分がもしその時代に生きていたらって考えると
17:36本当に発狂してしまうんじゃないかっていうぐらいな
17:39環境ですね
17:41本当に極限の状況だったなってことを感じますね
17:44では少し濁りまして
17:47こちら見ていただきますと
17:49この怒りのマークですね
17:52これ日本の海軍のマークなんですね
17:56日本の海軍の方々が使っていらっしゃった
18:00放浪製の食器です
18:02そして下見ますとこちらに1枚
18:05そしてこちらに2枚ほどですね
18:08靴のソールですね
18:10靴底がその当時の方々のものですね
18:15実際にこれを履いていた方がいたんですね
18:18そうですね
18:21いやでも本当にこういう落ちているものをたくさん見ると
18:25当時の人たちの生活っていうものが
18:27すごくリアルに伝わってきますね
18:29本当に存在していたんだなっていうのが感じますね
18:34では頭気をつけながら
18:36はい
18:36洞窟の外に出て行く
18:38はい
18:42こうやって身をかがめながらじゃないと歩けないので
18:46当時の兵隊さんたちも毎日毎日こうやって身をかがめ
18:50ながら歩いていたって考えると
18:52それだけですごくストレスのかかる生活ですね
18:56出口特に低いですね
18:58はい
18:58頭気をつけてください
19:00はい
19:05すごい
19:061.2メートルぐらいしかないんじゃないかな
19:09はい
19:09出てきました
19:14振り返っていただきますと
19:16はい
19:16ここ石灰岩の島ですので本来白いんですね
19:20はい
19:21でも黒く一部なっているところがあります
19:23はい
19:24これはですね米軍の火炎放射器によって焼かれた跡です
19:28でなぜ米軍の方々火炎放射器を使ったかといいます
19:33と
19:33一つの入り口を制圧したとしても
19:36今通ってきた通り全部中つながってましたよね
19:39他の穴から日本へ出てくる
19:41霧がないということで一個一個焼いていきました
19:44でその当時に30メートル炎が出るものが普通だったんです
19:49けれども
19:50その当時の米軍の方々最新のものを持ってきてましたので
19:53炎は100メートルほど飛ぶものを使っていたそうです
19:59先ほどのガイドの渚さんの説明にもあったようにですね
20:02本来このペリリュートは珊瑚礁できているので
20:05この岩壁とか白いはずなんですけれども
20:08それがこれ見てわかると思うんですが
20:13はい黒くなっていますね
20:15でこの黒くなっているのは
20:17当時米軍が火炎放射器などを使って
20:20こういった穴をですね
20:21日本兵が出入りしているような穴を
20:23焼き尽くしたというところが要因ですけれども
20:26その名残が残っているということですけれども
20:27そのアメリカ兵が当時の最新兵器である火炎放射
20:31器を使って
20:31その有効性をこのペリリュートの戦いで確認して
20:35その後ですね
20:36伊予島の戦いであるとか
20:38沖縄戦であるとか
20:39そういった場所で
20:40さらに火炎放射器であるとか
20:42ナパーム弾とか
20:42そういったものをですね
20:44よりこう使うようになっていったという話がありまして
20:47まさにこのペリリュートの戦いが
20:49そういったナパーム弾
20:50火炎放射器といった炎を使って
20:53敵を焼き殺す
20:56おびき出す
20:58そういった戦い方をする最初のきっかけになったのが
21:00このペリリュートの戦いというふうにも
21:02言われているそうです
21:48このペリリュートの戦いから
21:49日本軍は戦いの仕方を変えたんですよね
21:52はい
21:52今まではですね
21:54グアム・サイパンなどでは
21:55水際作戦と言いまして
21:57日本の主力部隊を
22:00米軍が上陸してくる地点に置く
22:03米軍は力づくで上陸をする
22:06最後残った日本兵は
22:08万歳突撃をして散っていく
22:11だいたい数週間から1ヶ月の戦いでした
22:15ですがペリリュートの戦いからは
22:18徹底抗戦・持久戦へと作戦を変えます
22:21ですので日本兵は
22:23万歳突撃することを禁じられました
22:26万歳突撃
22:27自決行為することを禁じられました
22:311日でも長く生きて
22:331人でも多くの米兵を倒せ
22:35これが基本方針としてありましたので
22:39ある意味苦しくても
22:40自分で死ぬという選択ができなかった
22:43戦いではあります
22:45そういった消耗持久戦という戦法があったからこそ
22:49ああいう洞窟が生かされたっていう部分があるんですよね
22:51そうです
22:52今私たちの後ろに見えている
22:54あそこの何ですか
22:56鳥居のような形の建物っていうのは
22:58あれは何ですかね
23:00こちらはですね
23:01今向こう側に見えてます
23:03あの島ゲドブストまたはガドブストという名前で
23:07呼ばれていた島なんですけれども
23:09その島に続いていた橋があったんですね
23:13約300メートルの橋がありました
23:16その橋桁部分が今も残っています
23:19ゲドブストまたはガドブストですね
23:22向こうにも1キロメートルほどの滑走路ありまして
23:26小型の戦闘機の離発着が行われていた
23:30そして海に浮かべる爆弾
23:32嫌いというものがございますが
23:34それの弾薬庫があった場所でもあります
23:37向こうはですね
23:38立派な軍事基地で
23:40橋もですね
23:41向こうに続く立派な軍事施設になりますので
23:44米軍は上陸前にここ爆破しています
24:24彼らの状態的地位を
24:32まずこちら上から上空から見るとですね
24:35四の字の形をしているその当時東洋一の飛行場と言
24:40われた飛行場です
24:42これは海軍の設営隊と呼ばれる方々によって約4年間
24:47をかけて作られました
24:48パラオはですね寒気と雨気がありまして風向きが変わ
24:52るんですね
24:53なのでどの方向にでも飛び立てるように十字の滑走路が
24:57作られました
24:591200m、1200m誘導路を入れまして形は四の字にな
25:04っています
25:05これを取り合いまして米軍と日本軍の間で戦争が起
25:10きました
25:10米軍が当時フィリピンのレイテ島を落とそうという
25:14風にしていて
25:15この滑走路、このペリル島を抑えることができれば
25:19レイテ島に往復で普通に飛べるようになるっていう
25:22それがアメリカ軍がここを取ろうとした背景ですね
25:25そうですね、最初日本軍が真珠湾を攻撃するタイミングと同じ
25:31時に日本軍フィリピンにも攻め入ってます
25:33その時にいたマッカーサーですね
25:35その時フィリピンにいまして彼が一回日本が来ること
25:39によって撤退をするんですね
25:41で、もう一度帰ってくるという発言をされていました
25:45なので米軍としてはもう一度フィリピン奪還のためにこれ
25:48が必要だったという感じですね
25:51ただあれですね、最終的には先にレイテ島が確か抑えられて
25:55しまって
25:56アメリカとしてもペリルの戦いが一体何のための
26:01戦いなんだっていう風に
26:02現場の戦意喪失が起きたっていう話があるんですけど
26:06その通りなんですね
26:07はい、戦略的価値がなかったという発言をされたと言われたり
26:13もします
26:13そう考えると壮絶な戦いだったとは一体何のために殺
26:17し合ったんだっていう
26:18そうですね
26:19捉え方ができてしまいますね
26:20そうですね
26:21他にもいろいろといくつか印象的な写真がありますけど
26:23何か印象的なものがあればご紹介いただけますか
26:26こちらのお写真ですね
26:28セピツコシセピア色のこちらの黄色いお写真
26:31周りの方々がですね、米軍の方
26:34そしてここに立っているのが日本兵です
26:37この方々誰かと言いますと
26:39ペリリュー島の戦いが終わったことを知らずに
26:43約2年間洞窟に潜伏をしながら戦い続けた方
26:48々がいました
26:49最後は34名だったんですけれども
26:52その方々が最終的に武装解除して洞窟から出てきて
26:56投稿式行われた時の写真です
26:59こちらに2人、日本人の軍人の写真が飾ってありますけれども
27:03こちらは誰でしょうか
27:04上の方がですね、ペリリュー島の守備隊長を務めら
27:07れました
27:08中川邦夫大佐のお写真です
27:11下にありますのがアドバイザー、参謀長として
27:14この島に来られていました
27:16村井厳次郎少将のお写真です
27:19このお二人ですね、立場と階級が逆なんですね
27:23守備隊長ですが大佐
27:25参謀長、アドバイザーとして来られておりましたが
27:28この方の方が実は階級が上なんですね
27:31これにはちゃんとした理由があります
27:34お二人ともですね、陸軍の方
27:37この島の戦いは、日本の海軍約3000名
27:41そして陸軍合わせまして
27:43最終1500名で守備をした島になります
27:48このお二方ですね、このペリリュー島に到着したのが
27:52戦いが始まる約4ヶ月前、4月の末にここに到着
27:57されています
27:58もともといたのは海軍ですね
28:00陸軍の一番トップはですね、第14師団といいまして
28:04本部はガスパン州という空港のある島の方ですね
28:08あっちに置いていたんですけど
28:10そのトップの方、井上中将という方がですね
28:14ここ、ペリリュー島の守備隊長
28:16必ず中川大佐に任せると決めていらっしゃったそうです
28:20とても優秀な方だったんですね
28:22ですが、ここにもともといたのは海軍
28:25海軍の一番トップの方は
28:27大谷隆三大佐という方で
28:30どちらも海軍も陸軍も大佐だったんですね
28:33で、海軍と陸軍の戦い方も考え方も全然違う
28:37もしかしたらぶつかってしまう、揉めてしまうかもしれない
28:40ということで、あえて協力をしてもらうために
28:43一つ上の階級の方をこちらに来ていただいて
28:47陸軍、海軍の間を持つ役割として来られたのが
28:52この村井上将という話がありますので
28:55立場と階級が逆になっております
28:58ここに飾ってある写真の方が土田さんという方で
29:03最終的にペリリューとの戦いで生き残った
29:0534人の日本兵のうちの一人で
29:08一番最初に洞窟から出てきた方が
29:10この土田さんという方です
29:13この土田さんが洞窟から出てきたことによって
29:16まだ生き残りがいるということが分かって
29:18最終的にはこの方を通じてですね
29:21残りの33人かな
29:23の兵士の家族に日本に手紙を書いてもらって
29:26その手紙を洞窟の中にいる人たちに
29:29いる同士の兵士たちに届けて
29:32最終的には武装解除が行われたということです
29:36もしかしたら昨年大きな話題になったので
29:39このペリリュー楽園のゲルニカという映画化されて
29:42非常に大きな話題になりましたけれども
29:44この映画の主人公の方も
29:47おそらくですけれども
29:48モデルになった方が
29:49この写真にある土田さんという方
29:52なんじゃないかなというふうに思います
29:55今私の後ろにはこのペリリュー島で見つかった
29:59武器であるとか爆弾であるとか
30:01そういったものがここに保管されています
30:05このペリリュー島の戦いが終わった後に
30:07様々な調査が行われて
30:09そういった調査で見つかったものが
30:11ここに一部あるんですけれども
30:12実際にはですねこのペリリュー島の中に
30:15まだ不発弾が残っているというふうに
30:18言われていて今でも調査が行われているみたいです
30:22一部の地域はですね
30:23英語でコーションという黄色いテープですよね
30:26が貼られて立ち入り禁止のエリアもあるみたいで
30:30未だにそういった不発弾が残っているような
30:33エリアも残っているというふうに
30:35考えられているそうです
30:36このすぐ横にレポーターボム
30:38セーブライブズという英語で書かれた
30:40なんかポスターみたいなものがあって
30:42日本語で言うと
30:43爆弾を見つけたら報告してください
30:45それが命を救うことにつながりますという
30:48もしかしたら可能性として
30:49このペリリュー島の来た人が
30:51もしかしたら不発弾を見つけてしまう可能性も
30:54あるかもしれないということが
30:55考えられるんじゃないかなと思います
30:58ここには当時の
30:59従軍記者の方のメモリアルがありますね
31:03ちょっとお名前の読み方が分からないんですけれども
31:05ダミアン・パラーさんかな
31:07オーストラリア人の方で
31:09アメリカ軍に従軍をした方がいらっしゃったみたいですね
31:13どうやらこのペリリュー島の戦いで
31:15亡くなったみたいです
31:16当時彼が撮影したものがここで流れていますね
31:21非常に貴重な映像が流れています
31:23私もジャーナリストなので
31:26こういう撮影をして伝えるという仕事をしていますけれども
31:29やっぱりこのペリリュー島の戦いにおいても
31:31カメラでカメラマンとして
31:34従軍してその戦場の現実を伝えようとした人がいた
31:37従軍記者なので少し私と立場が違いますけれども
31:40そういった同じような背景を持っているということを考えると
31:43少し考えさせられるものがあります
31:59今お墓がたくさんある場所に行きましたけれども
32:01ここは共同墓地ですか
32:03はいそうです
32:04どういった方々が眠っている共同墓地ですか
32:06はいここはですね
32:07ペリリュー島のローカルの方々
32:09島民の方々の共同墓地です
32:12そしてその一角にですね
32:14日本の慰霊碑を建てさせていただいているという感じですね
32:17なるほど
32:18そこにミタマとか書いてありますね
32:20ミタマという大きなものは
32:221972年茨城県のご遺族の会
32:27ミタマの会の有志の方々によって建てられたものにな
32:32ります
32:33裏にはですね
32:34納骨棚がありまして
32:36今もペリリュー島、遺骨収集を行われていますが
32:40昔はその出てきた骨を一時保管するために使われていました
32:44まだ見つかってない遺骨が
32:46数百数千あるみたいな話を聞いたんですけれども
32:49まだたくさんあるんですよね
32:51そうですね
32:51まだ遺骨収集はかなり頻繁に来られてますけど
32:56まだ骨は出てくるそうです
32:57なるほどなるほど
32:59ここには沖縄の塔という風に書いてあるお墓もありますね
33:04このパラオ1914年から1945年にかけて
33:0831年間日本の統治を受けていましたけれども
33:11当時沖縄の方たちが非常に多く
33:14パラオに滞在していたみたいです
33:17活動量などのために
33:19ここに滞在している沖縄の方が多かったみたいで
33:23ただ1944年から戦争が始まるときに
33:26兵力が足りなかったので
33:29パラオの統治の関係で来ていた人たちも
33:32現地徴収ということで
33:34現地で戦争に借り出されていった歴史があるみたいです
33:38そのときに現地で徴収された方々が
33:41非常に多かったのが沖縄出身の方々
33:43現地で亡くなった方々がですね
33:46沖縄出身の方々が多かったので
33:48そういった方々を祀るためにですね
33:50沖縄の塔というものがこのお墓にもあるようです
33:55ここがペリル島の守備隊を率いた
33:57中川邦夫大佐のメモリアルが語ってありますね
34:02人は憎しみでもっては戦えない
34:04愛のために戦うのであるっていう言葉がありますけれども
34:07昨今も世界でイラン情勢であるとか
34:10パレスチナ、イスラエルの戦争であるとか
34:12アフリカも多くの戦争が続いてますけれども
34:14非常にいろんなことを考えさせられる言葉ですね
34:18確かにその通りだと思う一方で
34:21そういった愛自体が戦争を引き起こしているっていう部分がある
34:24ので
34:25なかなか考えさせられる言葉ではありますね
35:15ご視聴ありがとうございました
35:20次回の動画でも引き続きペリリュ島の戦績を巡ります
35:23アメリカが上陸したオレンジビーチや
35:26終戦後も日本兵が身を隠し続けたジャングルなどを
35:30取材しました
35:30なぜ戦争が終わった後も
35:32日本兵たちはこの島に潜伏し続けたのか
35:35ペリリュ島の戦いを理解する上で
35:37欠かせない内容をお届けします
35:39次回以降の動画も見逃さないように
35:42ぜひこれを機会にチャンネル登録をよろしくお願いします
36:11また次回の動画でお会いしましょう

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